特徴等
慶長3年(1598)に62歳で亡くなった秀吉の遺体は遺命により東山の阿弥陀ヶ峯に葬られ、その麓には、広壮豪華な廟社が造営された。豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により廃祀されたが、明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿跡にあたる当地に豊国神社として復興され、一般に「ほうこくさん」の名で人々に親しまれている。
豊国神社唐門(国宝)は、前後唐破風側面入母屋造、檜皮葺の四脚門で、西面する境内の正面に建っている。伏見城の遺構と伝わり、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたという。堂々たる平唐門で、西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つとされている。
参考資料:現地の説明板(京都市)/国指定文化財等DB(文化庁)
2023-3-28
豊国神社唐門 (国宝) (撮影:2023-3)
豊国神社唐門 (国宝) (撮影:2023-3) 豊国神社唐門 (国宝) (撮影:2023-3)
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番号・名称 年 代   構造等
381 豊国神社唐門
   (国宝)
桃山
(1573-1614)
四脚門、前後唐破風側面入母屋造、檜皮葺
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    京都府の重要文化財建造物         2018-2-1 現在